三輪先生がやって来た!

 
前日に大雪が降り、明け方には気温が-15度近くまで下がった日、三輪先生がやって来られました。

部屋のガラスもバリバリ伝説
すんごいことに!

 
三輪先生は、私が都立清瀬高校に通っていた時の地学の先生です。私が入っていた部活「地学部」の顧問の先生でもありました。
実はこの日、とある理由により超慌ただしい日々が5日間続く「怒涛の5日間」2日目。

初日は早くお着きになったので近くのお蕎麦やさん「たかさわ」で昼食
「たかさわ」のとろろ蕎麦 まいう~
ふふはり亭から車で5分の場所にある美味しいお蕎麦屋さん「たかさわ」
「たかさわ」から見える妙高山

 
三輪先生は今回東京から電車で来られて黒姫駅までお迎えに上がり、そこで久しぶりの対面となりました。ただ実際にお会いしたのは何年振りか思い出せないほど昔以来なのですが、全然久しぶりの感じがしませんでした。
facebookで繋がっていたのも大きいですが、一昨年(2018年)の1月に南極昭和基地から衛星中継で大学女性協会「新春のつどい」会場と結んだときに、日本側のスタッフに三輪先生がいて画面上で再会を果たしていましたからね。
向後紀代美さん(砂漠にマングローブを植える「砂漠に緑を」の会の向後元彦さんの奥様)が58次隊で活躍する女性隊員の鈴木裕子さんと衛星中継でお話をする企画でした。向後さんはご夫妻とも後述の地平線会議のメンバーでその関係で三輪先生がいろいろ手伝っていたようです。そして私は鈴木さんから三輪先生が関わっているというのを聞いていたので、鈴木さんの横で手を振る役をさせていただいたのでした。日本と南極でそれぞれ主役は向後さんと鈴木さんで、その横にそれぞれ三輪先生と私がいるという不思議な対面でしたね。
その時の様子はこちらの7ページ目!→JAUW会報2018年3月号
 

上記PDF資料の抜粋
 
三輪先生は私の人生を導いてくれた(狂わせた?)方です。もちろん狂わせてくれて心から感謝しています。
先生の教えは色々あって、まずその1「知力は体力に付いてくる」 常に時間があると走っている先生でした。ある日先生がいなくて地学の授業が自習になった時があり、皆仕方なく教室で教科書を読んでいると誰かが窓の外を見て「あっ三輪先生だ!」生徒を放り出してランニングシャツと短パンで校庭をマラソンする三輪先生でした。
ちなみに先生のその他の教え その2「明日出来ることは今日やってはいけない」これはトルコの諺だそうです。奥が深い言葉です。裏を返せば「本当に必要なことを今日やりなさい」ってことかな?
その3「世の中で一番偉いのは”有言実行”、次に偉いのは”有言不実行”、一番ダメなのが”不言実行”」 何も言わずにやってしまう不言実行はスマートに見えるけど実はこれは一番ずるいやり方。出来なかった場合にはなかったことに出来てしまいますからね。
有言実行は「自分はこれをやる」と宣言して挑戦し、それで成功すれば超偉い。でももし失敗して有言不実行に終わっても挑戦した結果ならいいじゃないか、という考え方。以来私は「有言実行」を心がけています。ただこれは捉え方にもよりますね。有言不実行で口ばかり達者で実行が伴わないとなると問題ですから。
 
当時先生はトルコに1年間留学していたことから、地学の授業そっちのけでトルコを始めとする外国のスライドをよく見せてくれたものでした。
また先生は当時「沙原の会(さはらのかい)」というのを主宰し、毎月冒険者を呼んでは皆で囲んで世界を旅した体験談等を話してもらってました。そこに清瀬高校の地学部、生物部、陸上部などのOB・OGが参加しそれに現役生も引っ張られて参加していました。皆刺激を受けて「自分も何かしなければ」という焦りを感じたものです。そうして先生の教え子たちは、追い立てられるように世界放浪の旅へ旅立って行くのでした。

     
三輪先生はまじめな本も書かれているんですね!

 
また沙原の会では時々「徹歩会(てっぽかい)」といって、秩父の山の中や山手線一周などを徹夜で真夜中に歩く会を催していました。
徹歩会。今から考えると真夜中に高校生を引き連れて登山道を歩くなんて、先生はなかなか剛毅な(というか危険な(笑))ことをされていたものです。
夜中の2時くらいになると「自分はいったい何をしているんだろう??」という葛藤が始まります。本当なら今頃布団の中でぬくぬくしていたはずなのに…。でもヘロヘロになって山道を歩いて空が白々と明けてきて峠から見下ろす街の風景、その時感じた太陽の暖かさは忘れがたいものがありますね。
また先生は「地平線会議」というのも立ち上げられました。沙原の会が清瀬ローカルだったのに対し、地平線会議は全国規模ですね。こちらもいろいろな冒険者の方を呼んでは毎月新宿に集まって報告会を開いていましたね。
ここに「地平線の旅人たち」という本があります。1996年に出された本ですが、それまでに地平線会議で報告者となった地平線を目指した200人からのメッセージをまとめたものです。副題は「201人目のチャレンジャーへ」
執筆者は、南極点までバイクで行った風間深志さん、バイクで世界を一周どころか何周もしている賀曽利隆さん、サハラ砂漠をリヤカー引っ張って縦断した永瀬忠志さん、グレートジャーニーの関野吉晴さん、ドーバー海峡を泳いで渡った大貫映子さん、言わずもがなの田部井淳子などそうそうたるメンバーが寄稿しています。そしてその200人の中に実は私「たっつあん」もいるのです。
私も地平線会議で報告者となったことがあるのです。それより前のことですが冒険ライダーの賀曽利さんはよく沙原の会にも参加してくれていて、その報告を聞いた私は賀曽利さんに対抗すべく50㏄のホンダモンキーで日本一周をしたのです。その日本一周をしたのが賀曽利さんの2回目の日本一周と同じ年で、また同時期に日本一周をした杉田晴美さんという方の3人でそれぞれの視点から見た日本一周というテーマで報告を行ったことがあるのです。それで冒険者200人の中に加えて頂けたのでした。

賀曽利さん、杉田さん、私の3人で地平線報告会を行ったことがあり、私も登場します。
賀曽利さんの本にも少しだけ私が登場します!

 
さて先生は元々妙高にご実家があるそうで、以前から黒姫や戸隠にはスキーに良く来ていたそうです。今回も翌日から戸隠で若い方々にバックカントリーの指導をされるのだそうです。
そういえば三輪先生は元都立大山岳部。昔からバックカントリースキーをされていたんですね。
戸隠には仲間と手作りで建てた山荘があるとのこと。私も翌日三輪先生を送りがてらその山荘に少しお邪魔しましたよ。薪ストーブがあって居心地のいいログハウスでした。山荘にあった看板には「都立大山荘」あっ三輪先生も皆さんも都立大出身だから。都立大の山荘・・・と思いきや読み方は「都立 大山荘」なのだとか(笑)
また先にいらしていたお仲間の方々が言うには今では穏やかな三輪先生も山岳部の頃は怖い先輩だったというのに驚き。ロープ(当時は麻の三打ちロープ)の巻き方でよく怒られたとか。
私は三輪先生を大山荘まで送り届けコーヒーだけ頂いて、すぐにおいとましました。この日は何といっても「怒涛の5日間」の3日目でしたからね。今度ゆっくりお邪魔したいものです。

ふふはり亭前で
戸隠の「都立大山荘」前で

この度はお泊りいただきありがとうございました。またぜひお越しください。今度は地学部で集まりますか?!
 
三輪先生のブログはこちら⇒みわかずひこのホームページ
 
 

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