南極会!!

「怒涛の5日間4日目!」南極の仲間が集まってくれました。
今回お集まりいただけたのは、58次隊から吉川さんご夫妻、59次隊からは山口さん、豊福さん、佐藤さんの5名。
 
私が南極観測隊に参加したのは第58次日本南極地域観測隊(2016年11月下旬~2018年3月下旬)。南極観測隊員になると、7月から東京立川にある国立極地研究所の南極観測センター隊員室勤めをして、南極出発までの約5ヶ月間程を南極での仕事に必要な簿品等を調達する仕事をします。そして南極に行って帰ってくるまでに1年4ヶ月。一緒に越冬した吉川さんとはもう家族のようなものです。
吉川さんは宙空部門のモニタリング担当。宙空部門はオーロラ等の空の研究をする部門です。私の野外観測支援という職種もそうですが、モニタリングも一般から公募されます。もちろん誰でもいいわけではなくモニタリングは理学・工学実験、観測の実務経験等が必要です。南極観測隊員で毎年一般公募されるのは、設営系では料理人、お医者さん、そして野外観測支援(山のガイド等)、観測系では宙空圏モニタリング、気水圏モニタリング、地圏モニタリングってとこでしょうか。
吉川さんは58次隊を含めると既に3回越冬している南極フリークです。

昭和基地アマチュア無線部 私の後ろの赤い服の背の高い方が吉川さん
オーロラとドラえもん
南極大陸で天然かき氷いただきま~す! by 吉川さん
西オングルに渡るチーム 真ん中が吉川さん

 
 
ところで私は58次隊なのに何故59次隊の方と知り合いかって?
それは前の隊から次の隊に入れ替わるの時に少しだけ重なるからです。私たち58次の越冬期間終盤の12月末に南極観測船しらせが次の59次隊を乗せてやって来るわけです。今まで33人だった昭和基地が急ににぎやかになるシーズンです。毎年2月1日が越冬交代式、しらせが日本へ向けて出発するのが2月15日くらいなので、それまでの1ヶ月半くらいを次の隊への引継ぎも含めて一緒に活動するわけです。夏だけ研究観測活動をする夏隊の皆さんは、活動できる期間が短くその期間内に予定した観測を終えなければいけないので、とにかく大忙しです。
私の野外観測支援という職種は隊員の皆さんの安全を確保することが最大の任務ですが、さすがに1年間を通して南極に住んでいる前次隊の方が来たばかりの方よりも何が危険で何が安全かとか見えていることもあり、59次隊の皆さんが野外で観測活動をするときに私もいろいろな場所にお供させていただきました。
 


 
 
山口さんは59次の夏隊。小学校の先生です。ふふはり亭には昨年夏に一度お越しいただきましたね。
詳しくはこちら⇒カメラマン先生が来た!
南極観測隊は毎年「教員南極派遣プログラム」というのがあって、学校の先生2名を南極に派遣し南極から中継で日本の子どもたちに授業をするということをやっています。授業をするといってもその前に南極のことを色々取材しないと子どもたちに話せませんよね。そこで学校の先生はいろいろな研究・観測の現場へ出かけるわけです。山口さんとは北海道大学の杉山先生によるラングホブデ氷河の熱水掘削観測の現場でご一緒させていただきました。コイン洗車場にあるような高圧洗車機を3台つなげて、氷河上を流れる川から水を吸い上げ80℃のお湯にして高圧で噴射し、500mもの厚さの棚氷をボーリングして棚氷の下の海水や海底の堆積物を調べ、氷河融解のメカニズムをさぐるという研究でした。詳しくはこちら⇒南極ラングホブデ氷河における熱水掘削
氷河上での活動は危険を伴うため、私の出番だったわけです。

ドリルで穴を開けているのが私、青いジャケットが山口さん
氷河に開けた深さ500mの穴
ラングホブデ氷河上のキャンプ風景
楽しい食卓
クレバス帯を駆け抜ける
スノモで熱水掘削機を運搬

 


 
 
豊福さんは59次の夏隊。国土地理院の方。そう国土地理院とは地図を作る機関です。なんと日本の地図だけでなく、南極の地図も作っているんです。豊福さんとは地図作りのために3ヶ所ほどお供させていただきました。
昔は地図は三角測量という方法で作っていたそうですが、現代の地図はどうやって作っていると思います? GPSを使うんですね。GPSもハンディの小さいやつではなく、専用の大掛かりなものです。
まず、山頂の岩場とかの開けた目立つ場所に対空標識というのを白いペンキで描きます。その中心に基準点という金属のプレートを打ち込みます。そして基準点の座標や高度を専用のGPS装置で24時間かけて計測します。そのため山の上でテントを張って最低3日間過ごす必要があります。その一点の座標と高度がわかってしまえばあとは簡単です。後でその地点を含む場所を航空写真や衛星写真を撮るとその中に小さく対空標識が写っていてその一点の座標がわかっているわけですから、あとは自ずと各地点の座標が決まりますね。

ラングホブデ南平頭山山頂キャンプ
オメガ岬に設置した基準点の座標を測定
オメガ岬でのキャンプ風景
平頭氷河をバックにたっつあん飛ぶ!

 

 
 
越冬隊は乗ってきたしらせではなく、1年後に迎えに来たしらせに乗って帰ります。でも夏隊の方は来た時のしらせにまた乗って帰ります。つまり帰りは59次の越冬隊を昭和基地に残し、58次の越冬隊と59次の夏隊の皆さんが一緒にしらせで帰るわけです。しかも往路はオーストラリアのフリーマントル~昭和基地が2週間ほどだったのに対し、復路は昭和基地~オーストラリアのシドニーまで50日間の船旅。長っ! 往路はこれから南極という期待感と緊張感そしていろいろな準備作業で大忙しで何だかわけわからないうちに過ぎ去っていきますが、帰りは達成感と解放感はあるもののもう何もすることもなく暇なわけです。いろいろレクリエーションとか一緒にお酒飲んだりとかして楽しく過ごすわけです。
 

 
 
佐藤さんは59次の越冬隊。吉川さんと同じ宙空圏モニタリングの方。吉川さんは58次宙空隊員で佐藤さんは59次宙空隊員。つまり佐藤さんは吉川さんから引継ぎを受けたわけですね。ふふはり亭で2人は再会するなりハグしあってましたよ。
佐藤さんとは大陸のH68というポイントにある無人磁力計の保守・点検に行きました。佐藤さんと行動を共にしたのはその時だけで、佐藤さんは越冬だから帰りのしらせでは一緒ではなかったのですが、それ以降もfacebookで繋がる仲だったのですよ。
私は信濃町に越してくる以前は岐阜県の白川村に住んでいて南極に行く前はトヨタ白川郷自然學校に勤めていました。そこでは白山を通るロングトレイル事業を進めていました。つまり私は岐阜県側。一方佐藤さんは白山ジオトレイルのスタッフをされるなど、石川県側で白山に係わっていた方。同じ白山に係わるものとして「佐藤さんが帰国したら一緒に何かやりたいですね」と約束していたのですよ。その約束をすっぽかして私は長野県民になってしまったのでした。「すんません!」
ちなみに佐藤さんは「7大陸すべてで3泊以上したことがある」という地味ながらすごい記録の持ち主です。
 

 
 
それにしても南極仲間が集まると、とにかく話が尽きることが無いですね。この日も夕方の18:00くらいから鍋を囲み、皆さんが持ち寄ったお酒で酔っ払い~になって話は盛り上がり、気づいたら夜中の1時過ぎ。なんと7時間もぶっ通しで南極話していたとは!

始まりました!(18:00頃)
まったりしてきた頃(1:00頃)

 
そこから急いで寝ましたよ。佐藤さんと山口さんは明日は仕事という事で、それぞれまだ暗い早朝5:00と6:00にきっちり起きてきて出発されて行きました。ちなみに私たちは朝食を取らずに出発される2人にお弁当を作ってあげたくてその前に起きましたよ。(作ったのはうちの奥さんですが)

山口さんにお持ちいただいたお弁当 5:00出発の佐藤さんにはもうちょっと簡単な「ショーピン弁当」をお持ちいただきました。
 
吉川さんご夫妻と豊福さんは翌日はお休みを取ったという事なので、ゆっくり朝食を召し上がっていただき、その後つぶれかけのイグルーをご覧いただきました。そのまま帰ってしまうのはもったいないというので、野尻湖にお連れし、その後野尻湖ナウマンゾウ博物館へご案内。
本当は「氷河時代案内人」のたっつあんとしてはナウマンゾウ博物館も一緒に入って解説したかったところですが、何せこの日は「怒涛の5日間」最終日でしたから、まだまだ忙しかったのです。皆さんをナウマンゾウ博物館に降ろし「あとは自力で帰ってください」と置いて帰りました。黒姫駅まで結構距離あるのでちょっと心配ではありましたが、考えてみれば南極で吉川さんは西オングル島のテレメトリーサイトまでの道なき道をひょいひょい歩いていたし、豊福さんもラングホブデの雪取り沢小屋からやつで沢を見下ろすピークまで重たい機材を延々と歩いて担ぎ上げましたものね。
ってことは今回集待ってくれた方全員、吉川さんも佐藤さんも豊福さんも山口さんも皆体力半端ない方々ばかりだったってことですか!!

イグルーの中
また集まりましょう!

 
皆さま遠いところを翌日仕事の方もいるにも関わらず、お越しくださいましてありがとうございました!
いやぁ、それにしても楽しい時間でした。またぜひ集まりたいですね!!

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Verified by MonsterInsights